かたじけない観世音様!夢ではないか!嬉しいわいな~!

東京歌舞伎座で催された新春の演目「鰯賈戀曳網」(いわしうりこいのひきあみ)の中で中村七之助さんが扮する傾城蛍火が、恋仲となった鰯売りの男と夫婦の契りを交わす場面で発する言葉です。
相手する鰯売りは中村勘九郎さんですから、七之助さんの実兄です。照れたりしないのか、と表情を伺っておりますと真剣そのもの。
中村勘九郎さんの表情が、何と先代や先々代の勘三郎さんにそっくりに見えて、中村屋の伝統が継承された様を拝見することとなりました。

傾城蛍火、実は紀ノ國、丹鶴城の姫君と宇都宮弾正、実は猿源氏(さるげんじ)という賤男(しずおとこ)の洒落た会話のやり取りが気に入りました。寝言で失言した鰯売りの売り声を聞きとがめられて、和歌にかこつけて釈明するのですが、なかなかのインテリの鰯売りです。

「今、こなさんのおっしゃった『アコギが浦の猿源氏が、鰯こえ~』とは何でござんす」
「アコギが浦とは、いや~、お~それそれ、それがし、歌道にたしなみあるゆえ、寝言にまで歌枕が出たと見える。しほきとる、アコギが浦にひく網も度重なればあらわれぞする、という歌の心を案ずるうち、寝言にまでも申しつらんよ。」
「猿源氏とは?」
「『猿沢の池の柳は吾妹子が寝乱れ髪の形見なるらん』。はて、他愛のない寝言にかこつけても、難しい詮議よの~。」
「鰯こえ~、といううわ言は何のゆかりでござんすぞえな~!」
「お~、それそれ。昔々、和泉式部、鰯と申す魚(うお)を食い給ふところへ、保昌来たりければ、和泉式部恥ずかし気に鰯を隠す。保昌、何を隠し給ふと問い詰めければ、日の本に石清水、参らぬ人はあらじとぞ思ふ、と詠じ給へば、保昌、色を直し、肌を温めおなごの顔色を増す薬腑なれば、用ひ給ふは苦しからず、とて、それより、なほなほ浅からず契りしという眞(まこと)を寝言にまでも、仲らひの果報を思ひて申せしぞや!」
「かほど歌道に秀でたる鰯売りは、よもあらじ。そんなら、正真正銘、弾正様か?」「正真正銘、宇都宮弾正だ!」

その後、紆余曲折あるのですが、相思相愛でお城から来た家臣から50両頂いて、花道から「さあ、いこ、いこ。」と退場します。
その退場直前に、姫の懐にある観音様の像に祈りを捧げる、何となく有難いような説話風の歌舞伎舞台でした。

今年こそ、良い年となりますように!

(追記)奈良、猿沢の池の衣掛け柳の故事が分からないと面白くないと思います。

     猿沢の池もつらしな吾妹子がたまもかづかば水ぞひなまし

 

2019年11月 3日 (日)

ガンダムVSメカゴジラ!映画『レディ・プレイヤー1』

2018年公開さされたハリウッド映画『Ready Player One』には、何と日本が作り出した二大キャラであるガンダムとメカ・ゴジラが出てくるのです。日本の著作権者の出した条件のひとつに日系人俳優を映画に出演させるということがあったのではないだろうか、と思うのです。テレビゲームが題材でもあり、日本人の貢献の大きかった分野ですから、妥当なところとも思います。

そういえば、7月のブログに記載したアニメ「プロメア」の中にレガシーとなった過去のアニメを彷彿とさせる部分が多々ありました。というか、私には過去のアニメのパロディーばかり目に付きました。ゴルゴ13シリーズで有名な、さいとうたかお氏の実写版「超人バロムワン」は、ヒーローの頭の半分に頭の良い子供、もう半分に身体能力抜群の子供が合体して生まれるという設定でした。プロメアにも同様の場面がありました。また、知る人ぞ知るアニメ「遊星仮面」の最終回、戦争の原因を捏造したことを示すビデオが放映されてしまい悪者が逃げようとするのを拿捕するというシーンがあったと思うが、同様の場面がプロメアにもありました。また、人間がエネルギーにされる場面は「銀河鉄道999」、当然、戦闘シーンにはガンダムもどきが、消防車の乗り組み隊員は攻殻機動隊もどきが出てくる。ジャパニーズアニメの神髄であるええ加減さ、「もし、俺たちがここに来なければ、どうなっていたんですか?」「もう終わっていたね!」というくだりが大好きです。

最後に、悪者も自分たちも全員助けてしまうというシーンは、外国のアニメでは見たことがありません。

NEVER! Never say never in Tropical Olympic!

国際オリンピック委員会(IOC)が、東京オリンピックのマラソン競技の札幌開催を決定したといわれるのですが、これからの開催国決定が非常に面白いことになります。

何故なら、国際と銘打っているのであるが、開催国は熱帯地域は未来永劫開催されないことになります。そうしますと、五輪は五大陸を表すとされているのに五輪からアフリカ大陸が除外されたり、もしくは五輪のデザインを変更する必要になるのではないかと考えます。オリンピックが放送メディアなどのビジネスになっているのでしょうね。

テレビ越しに無料で視聴できるので、一般視聴者には関係のない話かもしれませんが、こうした一方的決定方法を今まで見たことがないので、日本国民を愚弄しているように思えるのです。国際ラグビー大会の清々しさの余韻が残る中で、一般人のオリンピック離れが加速しないとよろしいですが。


It is said that the International Olympic Committee (IOC) has decided to hold a Tokyo Olympic marathon event in Sapporo.

This is because it is internationally named, but the host country will not be held in the future in the tropical region. Then, I think that the Olympics represent the five contients, but IOC may not choose the tropical countries such as in the African continent, or the design of the Olympics needs to be changed, only one ring! Is the Olympics becoming a business such as broadcast media?

Since it can be viewed for free through TV, it may be unrelated to general viewers, but since I have never seen such a one-sided decision method, it seems to be fooling around the Japanese people. I hope the general public will not leave the Olympics in the midst of the freshness of the international rugby competition.

2019年7月 6日 (土)

劇場アニメ 「プロメア」が素晴らしい。なぜだか分かるかな?

大阪は天王寺のアポロシネマにアニメ「プロメア」を拝見したのは、一週間以上前のことだったのであるけれど、製作現場のアニメーターさん達にとっては大変な作品だったのが良く分かりました。作画の量も動きが激しい分だけ余計に沢山になるのでしょうから、制作費の割には仕事量が多くなったことでしょう。

なぜ、制作側の同情をしているのかというと、私の妹の長女、つまり姪が「プロメア」の制作に携わっていたからなのです。アニメーターを目指しているとのことですが、最後の字幕スーパー右側に姪の氏名が映し出された時は、じんわりと感動しました。

ストーリーは、外国アニメにあるような予定調和的な「正義が勝つ」ようなアニメではなく、日本人にしか描けない馬鹿らしいほどの楽観主義と荒唐無稽さを兼ね備えた、まさしくジャパニーズアニメの王道を行く映画でした。興味のある方は、映画館で鑑賞してみて下さい。堺雅人さんが敵役の声優だったりしますので、割とメジャーな映画なのでしょうね。

オジサンは堪能しましたよ!ナナちゃん。

2019年5月 1日 (水)

フェルメール展より二階展示の清朝花鳥図の方が見事

フェルメール展が折角、居住空間に至近距離で開催されているので拝見することにしたのでした。フェルメール自身の作数が少ないので、同時代のオランダ人画家の作をたくさん展示されていました。確かに着衣の質感がリアルに感じられ、青色や黄色、白色の艶やかさが綺麗でした。しかし、描かれている内容の俗っぽさには辟易してしまいました。

ところが、その後、時間がありましたので二階の展示場に上がったのですが、その清朝の花鳥図で特に柘榴(ザクロ)と鳥を描いていた図が特に見事でした。来日して長崎派と呼ばれる日本人画家の一群を育成した沈 南蘋の作と呼ばれます。その後の日本画に影響を与えたといわれ、最近再評価された伊藤若冲も技法を受けついだ一人とされます。花鳥図の精錬な筆致の気高さの方がフェルメールより格上に感じられました。

2019年4月30日 (火)

平成最後の日、令和改元の節に詠める歌

掛けまくはあやに畏しすめらみことの御退位の節に詠める歌

大君の令和に結ぶ有り難き御心あらせらる光明遍照     (大植徹 作)
大君のお譲りあそばす一刹那去年とや言はむ今年とや言はむ (大植徹 作)

 

2019年4月14日 (日)

古代中国語研究の権威 大西克也教授の入学式の式辞が凄まじい。

東京大学大学院の入学式で人文社会系研究科長でおられる大西教授の式辞が、日本の研究者の矜持を示すものとしてご覧いただければ幸いです。
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_06.html
「私の発表はシコスキーを参照しつつもゼロベースで論証を積み上げたものでしたが、動詞分類の基本的枠組みに関する当時の常識に反するものであり、その場で学界の権威と目されている研究者から面罵に近い批判を浴せられました。私にとって堪えたのは、権威からの批判よりも、直後に別の研究者から便乗するような形で批判を受けたことです。嵩に懸かって攻め立てるような口調に何とも言えない気分になり、反論しようにも言葉が出なくなりました。しかし数年が経ち、当時その場に居合わせた指導教授から勧められて、私の論文を暗唱するほど読み込んだという中国の若い研究者に出会いました。上古中国語における「能格動詞」というカテゴリも、今ではごく普通に議論されるようになりました。
学問や学説にも流行りがあります。主流の学説に乗って論を進めると、批判のリスクは減らせるかもしれません。流れに乗るのは楽なことです。しかしそれでは本当の意味での学力は身に付きません。ブレイクスルーも生まれません。たとえ一般に受け入れられている考え方であったとしても、絶えず自分の目でその拠り所を検証し、納得できなければ受け入れない勇気が必要です。乗るか乗らないかは自分の学問的良心に依り、責任を以て判断する、それが「知のプロフェッショナル」としての矜持ではないでしょうか。これは学問だけではなく、世の中の全てについて言えることだと私は思います。」

「世界中で自分一人だけが気づいたのかもしれない。」という自負心と使命感が無ければ、研究の発展はないのではないでしょうか。それには、一見産業経済に無関係に思える分野にも、文科省の予算が配分されなければ、本筋の研究をする人が居なくなってしまうのではないでしょうか。




最新版Linux (Ubuntu 18.04.1 LTS) をHyper-Vで仮想化してみた。

LinuxというOS(パソコンの基本ソフト)について、子供から尋ねられたことの一つに、「なぜLinuxを使う必要があるのか?」ということがありました。Linux自体が基本的に無償で使用出来る上に、その上で動くアプリケーション・ソフトも無償で高機能のものが多いという魅力的なソフトウェアの一群であると説明しました。また、最近のWindows10pro 64bit版では、仮想化してWindows上でLinuxをアプリのように使用することが出来るようになりました。

仮想化するには、1.仮想化ソフトであるVirtualBoxやVMwearを使用する 2.WindowsのHyper-Vを使用する 3.Windows上でDockerを使用する、のような方法があるのですけれども、今回、2.のHyper-Vを使用するのが圧倒的にインストールが早い上に、LinuxのISOファイルさえあれば3分程度で設定も終わってしまうという手軽さでした。

今回のブログも仮想化したLinux上のFirefoxでアクセスしているのですが、ほぼいじることなく元々のデフォルトの設定できびきびと動いています。20年以上前にノースキャロライナ大学チャペルヒル本校で見かけたRed Hat Linuxを懐かしく思い出します。

2019年1月 9日 (水)

WPのニューイヤーコンサートよりピアノの森が良かった。

Wiener Philharmoniker のニューイヤーコンサートはテーレマン指揮でしたが、私には退屈で、伝統的舞踏も今回は若手振付師に代わっていて見どころが無かったわけです。

それよりは、アニメ”ピアノの森”の中のピアノコンクールで表現されたMozartやChopinの曲が面白く、主人公一ノ瀬海(カイ)の持つ技術に対する説明や表現が興味深かった。

NHKで時々放映される”駅のピアノ”のようにもっと一般人が公共の場で表現できる機会があっても良いのではないでしょうか。

 

 

TVアニメ「どろろ」2019年1月8日放送(リメイク版)感動した!

視聴前は、大して期待していなかったのですが、無機質な百鬼丸の表情や眼差しがリアルに感じられ、”どろろ”の生命感溢れる表情との対比が面白かった。今回の百鬼丸は、どちらかといえば、ナルト疾風伝に出てくる傀儡師サソリの表情に似ていた。

以前、実写版で映画にリメイクされた際に妻夫木聡さんが百鬼丸、柴咲コウさんがどろろに扮していたが、これはこれでよく作りこまれていると感心したものでした。

手塚治虫の原作では、赤ん坊の頃の百鬼丸が鬼たちに全身臓器を奪われて、ミノムシのように床をはいずって食事を摂取する様が描かれていたのだが、こうしたむごたらしさは、現代では表現し難いのだろう。百鬼丸の生きざまの凄まじさとどろろの精神的トラウマをどう現代に表現できるのだろう?

我々の生活そのものが残酷になっていく中で、”どろろ”という作品の持つ価値はどう変化していくのか、そのことを考えながら見ていたところが、ただ単純に楽しくかつ面白かった。

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